2026年(令和8年)は例年通り元日に地元の神社へ初詣を済ませ、
10日に6年ぶりの「地元の神社以外への参詣」も行ったが、
翌週の17日には8年ぶりにとある目的の日帰り旅を決行した。
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このページのタイトルや冒頭に記載した通り今回の目的地は藤沢だが、小田急線の藤沢行き快速急行で終点の藤沢駅(OE-13)まで…は行かず、途中の大和駅(OE-05:神奈川県大和市)で藤沢行き各駅停車に乗り換えて藤沢駅の1つ手前、藤沢本町駅(OE-12)で下車。 | ![]() |
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跨線橋を渡って西に進んだ、中華料理店の前に 「藤沢宿 京見附」の標柱があった。 ここが東海道藤沢宿の西端。 |
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京見附で引き返し、今度は東へ進む。 小田急線を跨ぐ陸橋は「伊勢山橋」。 その名は近くにある小高い山「伊勢山」(記事冒頭右側の画像にも左奥に写っている)に因む。 藤沢市観光公式サイトによると、伊勢参りに行けない人々がこの山から伊勢神宮を遥拝したため、伊勢山と呼ばれるようになったらしい。 |
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| 旧東海道はこの先の(国道467号との交点である)白旗交差点まで神奈川県道43号。 | ![]() |
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白旗交差点を過ぎてすぐの脇道に入ると、「伝 義経首洗井戸」がある。 現地の説明板によると、陸奥衣川で自害した源義経の首は鎌倉の腰越における首実検後、浜に打ち捨てられたが、川を遡って里人に拾われ、この井戸で清められたという。 |
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| 旧東海道に戻り、国道467号に指定されている区間を進む。 | ![]() |
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蒔田本陣跡。 藤沢宿の本陣は堀内本陣と蒔田本陣の2軒あったが、堀内本陣は延享2年(西暦1745年)に役を返上したため、以後は蒔田本陣のみになったらしい。 また、脇本陣も2軒設定されていたらしいが、1軒は途中で廃業、残り1軒も特定の家に限定されていなかったという。 |
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| 国道467号と藤沢市道の分岐点である高札場跡。 旧東海道はここで左折し境川を渡る。 |
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高札場跡には「江の島弁財天道標」が設置されている。 現地の説明板によると、この道標はもともとこの辺りにあって、後に藤沢市役所新館脇の歩道橋付近へ移設されていたが、歩道橋周辺の整備に伴い浮世絵を参考にして現在地に再移設されたらしい。 |
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近世(江戸時代)にはこの場所に「大鋸橋(だいぎりばし)」が架けられていた。 現在境川に架かっている橋は、渡った先にある名刹・遊行寺に因んで遊行寺橋と名を改めている。 遊行寺橋から下流方面を見ると神奈川県道30号の藤沢橋が見える。、ただし、近世の絵図に藤沢橋もその先の県道30号にあたる道も描かれていない。 一方で、藤沢橋交差点で県道30号と直交する国道467号は江の島への参詣道として当時からあったようだ。 境川はこの先、小田急江ノ島線の終点・片瀬江ノ島駅付近(藤沢市片瀬海岸)で相模湾に注ぐ。 |
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| なお、境川は鎌倉郡と高座郡の境だけでなく、上流域では武蔵と相模の国境でもあった。 現在でも東京都町田市と神奈川県相模原市の都県境になっている。 |
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藤沢橋交差点は渋滞の名所と言われるほど交通量が多いため、藤沢市は高札場跡に自動車排出ガス測定局を設けて窒素酸化物(NOx)や浮遊粒子状物質(SPM)等を測定している。 | |
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←遊行寺橋を渡ったところ。 奥には遊行寺の惣門と本堂の屋根が見える。 少し進んでから来た道を振り返る。→ |
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もともと遊行寺への参道がある上に、現在は丁字路の道幅がほぼ変わらなくなっているので分かりづらいが、ここには江戸方の端(東端)に近いことから桝形が設けられていた。 | |
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丁字路の一角には「ふじさわ宿交流館」がある。 この場所は「藤沢広小路」(または大鋸広小路)と呼ばれる、火除け地を兼ねた幅広の道だった。 舗装道に面したところには"模擬"高札場がある。 (本来の場所は既述の通り遊行寺橋を渡った先の境川右岸。) |
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時宗総本山・清浄光寺(通称・遊行寺)の惣門。 藤嶺学園藤沢中学校・高等学校の正門も兼ねているため、中学生や高校生も多く出入りする。 惣門前の青銅製燈籠は天保十三年(西暦1842年)八月建立とされ、台座には約500の寄進者の名前が刻まれている。 |
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遊行寺の本堂。 | ![]() |
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遊行寺の境内には南部茂時の墓(左画像)や時宗歴代上人の墓所(右画像)がある。 | ![]() |
| 南部茂時は鎌倉時代末期に足利高氏・新田義貞らが反旗を翻した際、執権北条氏方として新田義貞に敗れた後、遊行寺で自害した。 茂時は盛岡藩主南部家の先祖とされ、南部家の菩提寺・教浄寺(盛岡市)には茂時の供養塔が建てられている。 歴代上人墓所の扉などについている宗紋「隅切り角に三」は伊予河野氏の家紋で、宗祖の一遍上人が河野一族であることから同氏の家紋がそのまま宗紋として使われている。 |
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東側の通用口から外へ出ると、そこは箱根駅伝3区(往路)・8区(復路)のコースに含まれ、8区では後半の難所として知られる「遊行寺坂」。 8区15.6kmの(タイム計測を行う)定点にもなっている。 下りはご覧の通り渋滞が発生している。 坂を少し上ると、「藤沢宿 江戸見附」の標柱が建てられていた。 ここが藤沢宿の東端で、坂を上りきってから700mほど進むと横浜市戸塚区との境界に達する。 |
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江戸見附跡からさらに100mほど進むと一里塚跡の説明板。 県道30号を挟んで反対側にも標柱と説明板がある。 SNSにアップロードされている静止画・動画を見ると、右画像の奥に見える「メモリアルガーデン藤沢」のあたりにテレビ中継用の台座が組まれているようだった。 遊行寺坂の渋滞の最後尾はこのあたりまで伸びてきていた。 |
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一里塚跡で引き返し、遊行寺坂を下ってから県道30号の遊行寺交差点で振り返る。 | ![]() |
| 時間経過によってはここ(正確には県道30号を横断した先の藤沢橋バス停)から藤沢駅行きのバスに乗って帰るところだったが、まだ余裕がありそうだったのでこちら側の藤沢橋バス停で待ち、15時8分発の横浜医療センター行きバスに乗って次の目的地へ向かった。 | ||
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箱根駅伝8区のコースを東京方面に進むバスから、「影取」バス停で降車。 | |
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バス停のすぐそばにある歩道橋に上って国道1号を撮影。 | ![]() |
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歩道橋を渡った後、少し東京方面に歩いて(日本橋から)48kmの地点から藤沢方面を撮影。 かつては影取付近にも松並木があったそうで、1本だけ残る松の木はその名残だろうか。 |
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| 48km地点から藤沢方面に歩くと、大磯のかまぼこ店による「大磯宿まで五里」と記された案内看板に遭遇。 ※Googleのストリートビューを見ると、2022年12月には存在していないが2023年10月には現れている。 |
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神奈川県道402号が分岐する「影取町」交差点の一角には「影取立場跡」の標柱が立てられていた。 「立場」(たてば)は宿場と宿場の間で茶屋などの休憩施設が設けられた場所。 標柱に記された説明書きには「この立場は鎌倉道と交差する交通の要所で東海道藤沢宿まではおよそ一里の場所」とある。 県道402号は「かまくらみち」という通称をつけられているらしいが、インターネット上で検索しただけではこの道が最近できた道でなく古くから鎌倉への道として存在していたという確証を見つけられなかった。 |
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| 国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所のWebサイト内にある「東海道と宿場の施設」のうち「立場」のページによると、神奈川県内の「東海道の宿場9か所の間」には18の立場があり、影取は川崎宿から箱根方面に向かって7番目の立場だったらしい。 なお、最初の立場は鶴見村で、その次が(箱根駅伝9区の終盤、鶴見中継所での繰り上げスタートを回避できるかの判断材料になるタイム計測の定点がある)「生麦」。 |
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| 影取立場跡を過ぎて、さらに藤沢方面へ進むと「影取町第二歩道橋」に小田原・茅ヶ崎方面と江の島・藤沢方面(県道30号)の分岐を予告する青看板が掲出されていた。 ちょうど歩道でランニングをしている方が通ったのでこんな字幕をつけてみたが、もちろん方向は逆である。 |
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影取町第二歩道橋をくぐった先には「和定食まるぶん」がある。 「タウンニュース」のこの記事によると、ここは箱根駅伝の際に神奈川県警第一交通機動隊と第二交通機動隊の白バイ隊員が交代する場所として使われてきたらしい。 |
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| なお、影取の定点を明示したWebサイトが見当たらなかったためマピオンの「キョリ測」 で復路の戸塚中継所(ウエインズトヨタ神奈川 戸塚中継店)からの距離を大雑把に測ったところ、(定点を設定していると思われる)戸塚中継所まで3.0kmの地点はおそらく「影取町」交差点付近。 「和定食まるぶん」まで行くとおよそ3.6kmになる。 |
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鉄砲宿やその先まで行く余力・時間がなくなってしまったため、近くの「諏訪神社前」バス停から藤沢駅北口行きのバスに乗車しこの日の旅は終了したが、乗車したバスも遊行寺坂で渋滞にはまってしばらくノロノロ運転だった。
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